旧北伊勢陸軍飛行場掩体

 第二次世界大戦中、鈴鹿市広瀬町から亀山市野褒野町にかけての一帯には、北伊勢陸軍飛行場(陸軍明野飛行学校北伊勢分教所・防空戦隊第100飛行団等が所在)が置かれていた。掩体は、攻撃に備え航空機を避難・分散させるために設けられた格納施設で、コンクリート製のものや土製のものがある。
 この掩体は、北伊勢陸軍飛行場とその北方に所在した別の飛行場をつなぐ誘導路沿いに設置されていた。コンクリート製で、平面形は幅29.6m、奥行8.4mの長方形部分に、奥行14.7m、最小幅9.1mの台形部分が接続した不正六角形(本体全体の最大幅29.6m、奥行23.1m)であり、半円筒形のアーチ状屋根が全体を覆っている。北西と南東の2方向が開口し、最大幅側である北西の正面開口部には幅18.6m、縦1.2mの庇が付けられている。大戦直後には、内部に天井近くまで土が詰まっていたとのことで、実際に供用される前に終戦を迎えたと考えられている。
 この掩体は、現存例が少ない戦争遺跡のひとつであり、地域の近代史を知ることができる建造物として貴重である。

所在地:鈴鹿市三畑町5079-72
構 造:鉄筋コンクリート造
年 代:昭和18年(1943)頃
※国の登録有形文化財(建造物)

〔出典:文化財情報データベース(三重県教育委員会)〕

おまけ

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